History

グンイチパンの歴史

“いまは一番小さくて貧弱なパン屋だが、
夢は大きく持っていつか群馬で
一番おいしいパン屋になろう!”
そんな思いを託し、
社名を「群一製パン」と名付けたのが、
現在の社名「グンイチパン」の由来です。

1954

創業期

当時の愛されパン

  • コッペ付け合わせ
  • 甘食
  • あんぱん
  • アンドーナツ
  • メロンパン
  • カステラのみみ
  • ジャムパン
  • シベリア
  • うぐいすパン

1954

群一製パン有限会社 設立

1956

  • ・従業員が6名に増える
  • ・伊勢崎市除ケ町直売所併設

1958

職住一緒のカオス状態

  • ・ミキサー、窯、材料置き場、従業員住居、親族住居は全てワンフロア。パンと共に、家族のような暮らしぶり

1961

  • ・作っても作っても苦しい時代
  • ・この時代のキャッチコピーは
    「みんな食べてる群一パン」

1965

進取期

1967

親子3人、オート三輪で東京青山の
ベーカリーを視察。
新店舗の着想を得る。

1969

  • ・ニューグンイチ1号店となる伊勢崎4丁目店 開店

1970

  • ・ニューグンイチ桐生4丁目 開店

1971

  • ・ニューグンイチ深谷いせや店、足利店、藤岡いせや店 開店
  • ・グンイチパンに社名変更
  • ・資本金800万円に増資
  • ・ニューグンイチ渋川四ッ角店、秩父キンカ堂店、森田館林店、スズラン前橋店、キンカ堂小山店、キンカ堂上尾店、いせや栃木店、キンカ堂熊谷店、小林本店境町店、とりせん鹿沼店、今市店、館林キンカ堂店 開店

1972

  • ・バタークリーム中心としたクリスマスケーキ 1万台売り上げ達成

1974

  • ・セントラル工場食パンライン完成
  • ・グンイチパン創立20周年式典 開催
  • ・ニューグンイチ相生店 開店

当時の愛されパン

  • コーンパイ
  • ソーセージバー
  • バゲット
  • カステラサンド
  • ハワイアンケーキ
  • モンブラン
  • ケーキドーナツ
  • コロッケパン
  • フレッシュサンド
  • ハンバーグパン

1975

発展期

当時の愛されパン

  • クロワッサン
  • バターロール
  • ホテルブレッド
  • クイーンロール
  • ハンバーグパン
  • 上州一番(サングンイチ)
  • あかぎの詩(サングンイチ)
  • そばクッキー

1975

パンだけでなく
お弁当や麺類まで出張販売

1976~1982

  • ・インストアベーカリー全盛期
  • ・この期間、ニューグンイチを17店舗開店
  • ・各学校 会社に出張販売開始

1984

  • ・ダイワ食品株式会社 設立
  • ・ニューグンイチ藤岡店、熊谷店 開店

1985

忍耐期

1985

日航機墜落事故
緊急時救援物資パン配達

1986

  • ・本社工場ライン完成
  • ・卸売、下請け(ナチュラル、パントーネ、グルメ万華)全盛期
  • ・ニューグンイチ4丁目店 改装

1989

火災により工場が全焼

1994

  • ・ニューグンイチ藤岡店 開店

当時の愛されパン

  • 元祖まゆっこ
  • 極食パン
  • ビーンズ食パン
  • エクセル食パン
  • バタートップ
  • マヨシュガー
  • チーズ蒸しパン
  • ハワイアンブレッド

1995

転換期

当時の愛されパン

  • レトロバゲット
  • ポパイ
  • ミニクロワッサン
  • 黒チーズカレーパン
  • さつまでごあす
  • 鍋揚げカレーパン 甘口
  • 鍋揚げカレーパン 辛口
  • ピザパン
  • みそぱん

1995

  • ・結婚式場7か所で
    ブライダルギフト事業全盛期
  • ・ニューグンイチ本庄店 開店

1999

  • ・本社工場冷却ライン完成

2001

  • ・ニューグンイチヒタチヤ本庄店 開店

2002

グンイチパン本店を改装し、
パーネデリシア本店へ

  • ・群馬県内23か所の官公庁、企業、社員食堂にパンの自動販売機設置
  • ・鍋揚げカレーパン実施

2003

  • ・パーネデリシアかごはら店 開店

2004

  • ・最初のホームページができる

2005

挑戦期

2006

  • ・パーネデリシア宮子店 開店

2007

  • ・サンドイッチコンテスト @MOBAC SHOWにて最優秀賞受賞

2008

  • ・パーネデリシアくまがや店 開店

2009

  • ・〈2代目社長〉小此木 博 逝去
    〈3代目社長〉小此木 正博 社長就任

2010

  • ・パーネデリシアまえばし店 開店

2011

  • ・東日本大震災計画停電の中、パン製造に勤しむ
  • ・全国ご当地パン祭りにて、「元祖まゆっこ」が《準グランプリ》を受賞
  • ・食品衛生優良施設 群馬県知事表彰受賞

2013

  • ・関東JR主要駅にてメロンパンのワゴン 販売開始
  • ・全国ご当地パン祭りにて、「カリカリメロンパン」が《銅賞》を受賞

2014

メロン・ド・パーネ
高崎、上尾店、北本店 開店

  • ・カリカリメロンパンのテーマソング「わたしのいちばん」販売

当時の愛されパン

  • 濃厚チーズフォンデュ
  • 超ロングウインナー
  • 黄金のメロンパン
  • 湯ごね食パン
  • メロンドセバスチャン
  • カリカリメロンパン
  • 冷やしまゆっこ
  • とろりんチーズ
  • 天使のチョコリング
  • アカシアのはちみつメロン
  • メロンドゴールド

2015

進展期

当時の愛されパン

  • ぐんま一番
  • 塩ロール
  • 塩ロールあんこ
  • 贅沢チョコメロンパン
  • 生ふらんす
  • ササミチキンレモンタルタル
  • アールグレイ香る
  • シナモンロール
  • ボロネーゼとソーセージ
  • 贅沢ショコラチャバッタ
  • 黒チーズカレーパン

2015

  • ・メロン・ド・パーネ浦和店 開店

2016

  • ・パーネデリシアおおた店、高崎駅店 開店
  • ・メロン・ド・パーネ大宮店 開店

2017

  • ・メロン・ド・パーネ北本、羽生店 開店
  • ・新工場 Labo ∞ Factory 落成

2018

  • ・群馬県食品自主衛生管理 認証取得
  • ・パーネデリシアハレノテラス東大宮店、前橋小島田店 開店

2019

  • ・パーネデリシア本店を17年ぶりの大改装。ヨーロッパの街並みを再現し、大幅リニューアル
紹介動画を見る

2020

  • ・伊勢崎市へ食育教材 「フードモデル」を寄贈

2021

カレーパングランプリ チーズカレー部門にて「黒チーズカレーパン」が《最高金賞》を受賞

2022

  • ・新工場 Labo ∞ FactoryがJIBフードセーフティー「優秀」認定
  • ・パーネデリシアきたもと店 開店

2023

  • ・パーネデリシアあげお店 開店

2024

創業70周年

創業期

1954

社名「グンイチパン」の
命名の由来

創業者 小此木 利一の言葉

「富士山へ登るも第一歩から。三笠の山へ登るも第一歩から。 同じ一歩でも覚悟が違う。目標はその日その日を支配する。」

思い切り働いてみると、この言葉が思い出された。
【群一】ということは、群馬で一番小さいパン屋の代名詞と考えた。
昭和二十九年当時、群馬県には二百有余の製パン組合員がおり、
現在は、たとえ群馬県一小さなパン屋でも、将来は、名実ともに群馬一番の【おいしい】パン屋になるように願いを籠め、社名に誓った。
私の時代には及ばぬ鯉の滝登りであっても、子や孫の代でもいい。
いずれは群馬一番のパン屋になる。
パン屋ほど毎日が楽しく良い商売はない。
一番の商売であると。

「一代ばなし」より

創業期

1958

職住一緒のカオス状態
夢の種をまいて歩く毎日

グンイチパンが「群ーパン」だったころ、まさにカオスでした。
店舗と住まいは一緒。しかも、家族の部屋の隣には従業員5人が寝泊まりしている部屋がありました。本来、団らんの場である食事の場に、家族や従業員に混ざって並んでいたのは、ミキサーや窯や麺台などの仕事道具。お店と自宅の境も、家族と従業員の区別もなく、なんだかもう毎日が必死。それでも思い出されるのは、愛とやる気と希望にあふれる充実したあの場の空気です。
博社長(二代目)は、できたてのパンを自転車の荷台に乗せて、小売店や雑貨店に卸していました。利根川を渡って本庄方面まで行ったこともあったようです。大変ではあったでしょうが、パンを売りながら夢の種をまいていたのではないかと感じています。

進取期

1967

スケスケ店舗とセルフ方式

始まりは「東京へ行こう」と言う博社長(二代目)のひと言でした。1967(昭和42)年、社長が運転するオート三輪で向かったのは、表参道にある人気のパン屋さん。店構えを見てもうビックリ!中がスケスケなのです。全面ガラス張りで並んでるパンも、店内にいるお客様も、パンを作っている様子まで全部が丸見え。照明の灯りも外まで漏れて、店舗全体が輝いて見えました。
もう一つ驚いたのは、お客様がトレーとトングを持ち、焼きたてのパンを自分で選んでいたこと。当時のパン屋さんは、ドアを開けなければ店内を見ることはできませんでしたし、製造風景をお客さまに見せるなんてありえませんでした。また、パンはショーケースに並んでいて、気に入ったものをあれこれ指さし、それを店員が袋に入れて渡すという対面方式でした。
ですから、この店の自由で明るく、おしゃれな雰囲気は、まるで夢の国のようでした。早速、グンイチパンもスケスケ店舗とセルフ方式を導入。北関東初となるこのスタイルは大量生産のパンに飽きたお客様から絶大な支持を得て、連日大にぎわいでした。その後、製パン工場を併設。フランスパンやデニッシュに着手するなど、弊社を変えるきっかけになりました。

発展期

1975

パンだけでなくお弁当や、麺類まで待っていてくれる人のための出張販売

この時期は、お客様が訪れてくださるインストアベーカリーならではの醍醐味を味わいながら、自ら外に出向いていく出張販売に力を入れていました。陣頭指揮をとったのは、もちろん博社長(二代目)。二人一組で売り回りました。現金商売でしたので、確実に現金が手元に入ってくる安心感もありました。出張先は、県内の高校、病院、会社の社員食堂。中には、往復2時間かかる場所もありました。それでも販売を続けた理由を博社長は「お客様が待っていてくれるから」と話していました。驚くことに、このとき売っていたものは、パンだけではありません。牛丼、かつ丼、チャーハン、幕の内などのお弁当、そば、うどん、焼きそばなどの麺類、そして手軽に食べられるおやきまで。「やるのならば本格的に」と工場を建設して自社製造をしていました。好奇心旺盛で、何にでも本気で取り組む博社長らしい事業でした。

忍耐期

1985

飛行機事故現場に届け続けた救援物資

明日からお盆という1985(昭和60) 年8月12日の夕方。緊急速報が流れました。「東京発大阪行きの日航機がレーダーから消えた」というものでした。背中がゾクッとしたのを覚えています。まさか、この事故に自分たちが関わることになるとは思ってもみませんでした。
520人が犠牲になった、単独機として世界最悪の航空機事故。墜落現場は、群馬県の上野村でした。群馬県警から、事故現場へ緊急支援物資輸送依頼があったのはその翌朝。弊社は13〜14日とお盆休みで、実家に帰省した社員もいました。しかし墜落現場では、自衛隊、警察官、消防隊員が不眠不休で捜索や救助活動にあたっています。彼らのために心をこめた食事を届けようと、毎日2万食製造。夜中3時、菓子パン2個と日持ちするドリンクのセットをパトカー、白バイ、自衛隊の車に先導されて配達し続けました。ある日 、テレビを見ていると自衛隊員のポケットから見覚えのある袋が顔を出していました。
そこには「ニューグンイチ」の文字が。少しは、世のため人のために役立つことができたでしょうか…。

転換期

2002

原点に戻り、
パーネデリシア誕生。
オレンジ色の袋のヒミツ

影武者はもう御免ーー。1986(昭和61)年からおよそ15年間、弊社は大手の下請け業務が主な仕事でした。配布される素材を使い、決められたレシピで作るパン。どれだけ努力しても、「グンイチパン」という名前が世に出ることはなく、利益も限られる、厳しい構造の中にありました。
その時、我慢に耐えかねた正博専務(当時)が、影武者卒業宣言。私たちは、自分たちのパンで勝負をすることに決めたのです。
今までのままではいけないと、まずは課題の洗い出しからスタート。上がった課題は72項目にも及びました。これらを一つひとつクリアさせていった中で、私たちが大切にしたかったのは、おいしいパンを届けたい、パンを囲む笑顔を広げたいという創業時の思いでした。こうして2002(平成14)年、誕生したのが〈PaneDelicia(パーネデリシア)〉。この名には「パンは最高の幸せ」という思いがこもっています。
私たちの思いは、ストレートにお客様に届きました。今ではパーネデリシアの輪は県内外累計11店舗を数えるまでになりました。

挑戦期

2014

新ブランドで新キャラ
メロンパンケストラ登場!

創業60年を迎えた2014(平成26)年。
グンイチパンの新ブランドとして生まれたのが、メロンパンが主役のパン屋さん「メロン・ド・パーネ」です。
弊社のパンの中でも圧倒的な人気を誇る自慢の「メロンパン」を中心に、食感、見た目、スタイルなどバリエーション豊富なメロンパンがズラリ。見ているだけで心はウキウキ、自然に鼻歌が歌いたくなります。
ということで、店内でパンの楽団「メロンパンケストラ」を設立し、キャラクターを作りました。指揮者のセバスチャンにちなんで「メロンドセバスチャン」というパンを販売。ほかにも、ズコット・ドウダ、チャーリー・マフィン、フレデリック・ショクパンなど楽しいキャラクターがお店を盛り立てました。
このキャラクターたちは、LINEのスタンプになっています。<メロンパンケストラの仲間たち>で検索してみてくださいね。

進展期

2021

全国カレーパングランプリで、
「最高金賞」受賞の
黒チーズカレーパン

ご来店されるお客様のおよそ半分が購入しているという、弊社の4番バッター、それが黒チーズカレーパンです。全国カレーパングランプリ2021では最高金賞を受賞。その後4年連続で金賞を受賞(2025年時点)した、業界でも認められたパンです。
しかし、開発には苦労がありました。開発のきっかけは、健康に良く、見た目にもインパクトのある、真っ黒いパンを作れないかと考えたこと。健康に良いといわれる竹炭を様々な方面から取り寄せて試しますが、灰色になったり、生地が硬くなったり、匂いがきつかったりしてなかなかうまくいきません。京都産の良質のものを練り込むことで、ようやく求めていた色を出すことができました。
中身のカレーは、ほどよくスパイシーでうまみを感じる中辛。生地とマッチするよう色の調整にも試行錯誤を繰り返しました。チーズを入れようと提案したのは、スタッフです。糸引きの良いもの、濃厚なもの、クリーミーなものなどタイプの違う種類のチーズをプレンド。カレーとうまく絡んでのびるよう、配合も工夫しました。そしてパン粉。食感の目新しさを考慮し、米粉を混ぜ込んでいるのです。フワッとした中にカリッとしたアクセントが斬新、と喜ばれています。良い素材をそろえただけでは美味しいものはできません。大切なのは調和。黒チーズカレーパンは、生地、カレー、チーズ、米粉入りのパン粉と、個性の際立つ主役級の4品のハーモニーで生まれた逸品。社内一丸となって、4番バッターに押し上げてくれました。

現在

おかげさまで、グンイチパンは
2024年に創業70周年を迎えました。

創業からの夢を追い続けた70年間。
まだまだ頂は遠いですが、
グンイチパンはこれからもみなさまに
精いっぱいの「イチバン」を提供し続けます。